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「おい、お前が会わせたいってのは、この男かよ!」
 耕平の部屋に通されたアンナは、部屋の隅にちょこんと座っている丸山三郎を見てそう叫ぶ。
「取り敢えずアンナちゃん、座りなよ」
「よけいな世話を焼くんじゃないよ! 誰がこんなことをしてくれと……」
「なぜ、黙って行っちまったんだよ」
 割って入った丸山の言葉にアンナが言葉を失う。どうやら、丸山を置き去りにして出て行ったことに対して、少しは罪悪感を感じているらしい。
「さあ、アンナちゃん、とにかく座って。今、コーヒーを淹れるからね。その間に、二人で話し合って」
 言って耕平が立ち上がる。アンナは気まずそうに丸山の向かいに座り、なんとなく視線を外して部屋の中など眺めている。丸山は丸山で、さっきから頑なに下を向いたままだ。

「なぜ、黙って消えちまったんだ」
 丸山が、うつむいたまま詰問する。
「僕は、僕は君と、本気で結婚するつもりだったんだ。そのために、仕事も探してがんばってたのに、達子、なんで君は」
「うざいんだよ、サブ! あたしはね、お前のそういう、うざいところがいやでいやで堪らなかったんだよ」
「う、うざいって、酷い、達子、僕は……」
「達子って呼ぶな! 今のあたしはね、アンナっていうんだよ。アンナって呼べ、アンナって!」
「じゃ、じゃあ、アンナ」
「うるさい!」
 アンナらしい豪快な売り言葉に、丸山らしいしみったれた買い言葉の応酬が続く。聞いている耕平が吹き出してしまいそうなほど、馬鹿馬鹿しい痴話喧嘩だった。
 アンナは気が付いていない。自分が、既に耕平の罠にはまり始めていることを。
 そっと二人の様子を盗み見る。打ち合わせ通り、丸山は鞄の中から一通の手紙を取りだした。
「覚えてる? これ、達子が僕に送ってくれた手紙だよ」
 そして丸山は、便箋を開いて読み始めた。そこには、いかにも女の子が恋人に書きそうな、甘い言葉が書き並べられていた。
 よく聞いていると、それは恋に恋する乙女が自分の言葉に酔っているだけで、丸山に対する愛情などは微塵も感じられないものだったが。
 しばらく、アンナは我慢して聞いていた。だが、とうとう我慢が切れたという様子で、アンナはさっと便箋を取り上げ、あっという間にびりびりに引きちぎってしまった。
「あああっ! な、なにするんだよ!」
「うるさい! あたしはね、あんたのそういうねちねちしたところが大嫌いなんだよ!」
(や、やった!)
 アンナは耕平のシナリオ通り、丸山の手の中の便箋を破り捨てた。全てが、耕平の計算通りであることも気が付かずに。

 アンナがこういう未練な態度を一番いやがることは、丸山から聞いて知っていた。過去に何度も、丸山はこうして、手紙や書類をびりびりに破られたことがあるということも、聞き出していた。
 だから耕平は、こんな罠を張ったのだ。

「あっ、あっ、あっ」
 素っ頓狂な声を上げながら、丸山はびりびりに破られた紙を繋ぎ合わせ始めた。だんだん形が見えてきたのは、便箋とは違う紙だった。
 それは、便箋にさりげなく挟んであった、航空チケットだった。アンナの顔が、えっと驚いた顔になる。
「ああっ! アンナちゃん、なにをするんだ!」
 わざとらしい叫び声を上げながら、耕平が飛んでくる。丸山は丸山で、わざとらしく嘆き悲しんでみせる。
「ひ、ひどい。ひどい。あんまりだ」
「アンナちゃん、なにするんだよ! これは、丸山さんが、必死で働いてお金を貯めて、ようやく手に入れた渡航チケットじゃないか!」
「渡航?」
「丸山さんはね、アンナちゃんを忘れるために、ブラジルに渡って、そこで残りの人生を送っていこうと決めたんだ。今日はその、お別れを言いに来ただけなのに」
「もう駄目だ。チケットがないんじゃ、ブラジルにも行けない。もう、今までの職場には辞表を出してしまったのに、僕はこれからどうしたらいいんだ」
 よく見れば、その航空チケットはブラジル行きではなく国内線の、それも金券ショップで売っている安売りチケットであることが分かるはずだ。しかも、便箋の中からチケットだけが落ちないように、糊で仮止めしていた部分がまだ、便箋の切れ端と繋がったままになっている。
 だが、生来大雑把な性格のアンナは、そこまでしっかり見ていない。思いがけない展開に、呆然としているばかりだった。
 念のために丸山が、切れ端をさっと集めてこぶしの中に握り締め、悔しそうに震わせた。これで、アンナが疑ってその手の中のものを見せてみろと言い出さない限り、チケットの嘘がばれる心配はなくなった。
「なんで、なんでそんなものをこんなところに入れてたんだよ」
「なんで? なんでだって?」
 怒りに堪えかねた様子で、耕平がアンナに詰め寄る。
「今でもアンナのことが好きだからだよ! だから、大切なアンナの手紙と一緒に、保管していたんだよ!」
 分かったような分からない理屈だが、自分が破ってしまったという後ろめたさで気が動転していて、アンナはそのおかしさに気が付かない。
「ああ、どうしよう。僕は明日から、どうしたらいいんだ」
 丸山が、心底困った様子でそう呟く。これもまた、アンナの性格、行動パターンを計算し尽くした上での挑発だった。
 アンナはまた、耕平の期待通りの言葉を口にしてしまう。
「分かったよ。あたしが弁償するよ。それで、いいんだろ」
「弁償?」
 心底呆れたという様子で、再び耕平がアンナに詰め寄る。
「それは違うんじゃないか、アンナ? 問題は金じゃないんだよ! 気持ちだよ、気持ち!」
「ああ、アンナ、酷い、酷い」
 耕平と丸山に責められて、アンナはますます混乱してしまう。
「じゃ、じゃあ一体、あたしにどうしろっていうんだよ?」
 耕平はゆっくり息を吸い込んだ。
 ここだ。ここが勝負なんだ。ここまでのシュミレーションは、丸山と二人で練り上げておそらくこの通りになるだろうという自信があった。だが、次の展開がしっかり思い通りに運ばなければ、全ては水の泡となるのだ。
 ことさら挑戦的な目線をアンナに投げながら、耕平は呟いた。
「お仕置きだな」
「お、お仕置き?」
「お尻、ペンペンだ」
「お、お尻……」
 アンナがあっと叫ぶ。突然、耕平と丸山がアンナに飛び掛かってきたのだ。
「何するんだ、馬鹿野郎! やめろよ!」
 アンナは必死で抵抗する。そのアンナを押さえ付けながら、耕平は心の中でピース・サインを出していた。
 確かにアンナは必死で抵抗している。だが、いつものアンナの必死さならば、耕平も丸山も簡単に弾き飛ばされているはずだ。
 それが、今のアンナは、どうしても耕平と丸山を押し返せないでいる。腕の力も足の力も萎えて、思うように反撃することができないのだ。
(やはり、アンナの弱点はお尻だった)

 耕平は今日まで、アンナに何度となくお尻を蹴られている。耕平たけでなく、他の男性スタッフも、アンナにお尻を蹴られたり叩かれたりしている。聞くと丸山も、付き合っていた頃に、何度となくお尻を叩かれていたらしい。
 異性のお尻を叩いたり、蹴ったりするのは、はっきり言ってセクハラだ。そして耕平が思うに、女性が他の女性に、あるいは男性に、セクハラ的な行為をする時、それは自分がそうされたい願望の裏返しなのだ。
 だから耕平は前から思っていた。アンナを責めるなら、まずお尻だと。
 お尻ぺんぺんという言葉を聞いただけで、こうして全身の力が萎えたような状態になってしまったアンナを見て、耕平は自分が、賭けに勝ったことを確信した。

「や、やめろ! こんなことして、後で覚えていろ!」
 アンナが男二人に悪態をく。だが、言葉とは裏腹に、耕平の膝の上にお尻を乗せて四つんばいにさせられたアンナはそのまま、身動きもせずにじっとしていた。それはまるで、誰かがお尻を叩いてくれるのを待っているかのようだった。
 アンナの腰のくぼみを片手で押さえ込み、耕平はゆっくりともう片方の手を振り上げていく。首だけを捻って耕平の手を見上げているアンナの顔に、不安げな、怯えたような表情が浮かぶ。
 パシィーン!
「あ、ああんっ!」
 お尻の辺りで高らかな音が鳴り、アンナの悲鳴がそれに続いた。こんな声も出せるのかと驚くほどに、悲しげな、それでいてどこか甘えているような艶めかしさのある叫び声だった。
 たった一発の平手打ちで、アンナの全身から力が抜けた。

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