その日、耕平は会社の応接室に通された。日頃、雑用係のように軽く扱われている耕平がここに通される時は、例の仕事の依頼の時と決まっていた。
耕平は密かに、社内で落とし屋と呼ばれている。SMエヌジーのAV女優に緊縛の味を教え込んで、SM作品への出演をOKさせるのが彼の仕事だからだ。ターゲットの女優の付き人になりすまし、隙を窺うというのがいつものパターンだった。
仕事の間中、耕平は付き人の仕事を果たす。当然、付き人としての給料も発生する。ターゲットの調教に成功した時には、その成功報酬も別に発生する。若い女の子を縛って虐めて、しかもギャラは悪くないという、耕平にとっては実においしい仕事なのだった。
だが、今回の依頼のターゲットの説明を受けた時、さすがの耕平も驚いた。
「と、東大卒う?」
思わず、すっとんきょうな声を上げてしまった。辻本社長は、まるで自分のことを自慢するような得意げな顔をしてみせた。
「そうなのよ。すごい時代だね、耕ちゃん。東大出の才媛が、AV女優になるってんだから」
「スカウトした奴も、すごいですよね」
「知らないで声掛けたらしいんだよね。で、OK取って、一応履歴書出してもらうじゃない。それで初めて分かったんだよ。いや、すごい時代だよねえ、耕ちゃん」
社長はすっかり舞い上がってしまっているが、耕平は内心、頭を抱えた。東大入れるようなエリートを、無理矢理縛ってSMプレイに持ち込まなければならないのは耕平なのである。
これまで耕平は、何人もの女優たちを落としてきた。だが、今回ばかりは自信が無い。耕平はこれまで、数え切れないほどのAV女優を見てきたが、東大出の女優というのはこれまで会ったことが無い。そもそも、大学出の女優自体、本当に数えるほどしか居ない。やっぱり、高卒、中卒が一番多いし、大学と言っても二年制の短大卒がほとんどだ。四年制大学を出てる娘なんて、本当に少ない。
そもそも、耕平自体が高卒だ。だから、耕平には強烈な学歴コンプレックスがあった。元東大生の付き人なんて、どんな話をしていいかさえも想像が付かない。
(そもそも、東大生のマゾなんて居るのかよ)
一言で言って、マゾヒズムというのは、自分の頭で考えることを止めることから始まるのだ。自分で考えることを止めて、サディストに全てを委ねてしまうから、そこにマゾの快感が生まれてくるのだ。
だが、頭の良い女は自分の頭で考えようとする。自分で判断して、自分の行動を自分で決めようとする。そんな女が、マゾになり切れるのだろうか。
(頭が良いから、法律にも詳しいよなあ)
落とし屋家業を始めた時から耕平が恐れているのは、犯罪者になることだった。相手の女優を落とし損ねて、警察に突き出されるのは何よりも怖かった。
そして、もし耕平を犯罪者にする女が現れてくるとしたら、それはこの元東大生のような気がする。
「駄目ですよ、社長。今度だけは、俺、断っていいですか?」
「何言ってるのよ、耕ちゃん。良い訳無いでしょ? あ、分かった。どうせ東大出の女なんて、頭ばっかり良くても顔はブスに違いないとか思ってるでしょ」
「いや、別にそんなことは言ってませんけど」
「今、隣りの部屋に居るからさ、一度見てご覧よ。きっと驚くから」
「いや、そういう話じゃなくて、あ、社長! ま、待ってくださいよ」
無理矢理背中を押されて、耕平はあっと言う間に隣室に放り込まれてしまう。そこには、一人の女の子が待っていた。
(あ、かわいい)
胸の中で、そう呟く。実際、そこに立っていた子はかなりかわいかった。AVなどに出なくても、芸能界でも通用するような、ずば抜けたかわいさがあった。
東大出と聞いた時、反射的に耕平は大柄な女性を思い浮かべた。学歴コンプレックスからくる卑屈さが、相手を大きく思わせたのかもしれない。
だが、目の前の女の子はむしろ標準より小柄だった。こんな小さな体に、高性能で優秀な頭脳が入っているなんて、とても信じられないくらいに小さかった。
「でもやっぱり、読む本が違うよなあ」
「え? なに?」
「いや、なんでもないです」
独り言を辻本社長に聞きとがめられて、耕平は慌てて答えた。
耕平が見たのは、一冊の文庫本である。女の子は待っている間、その文庫本を読んで時間を潰していたらしい。
もちろん、他のAV女優だって文庫くらい読む。ただ、耕平の目の前に置いてある文庫は怖ろしく厚かった。他の子が読んでいる本の四倍くらいの厚みがあった。
タイトルも難しい。読めない。旧字体の漢字だろうか、画数の多い漢字が幾つも並んでいて、耕平にはとても読めそうも無かった。
「優奈ちゃん、この人がこれから、優奈ちゃんの世話をしてくれる、岸田耕平くん」
「あ、社長!」
顔を見るだけと言っていたのが、付き人になると紹介されて、耕平は慌てた。だが、社長は涼しい顔でどんどん話を進めていく。
「彼はもう、何人もの新人女優の世話をしてきたベテランだから、安心して良いよ」
「ありがとうございます」
「耕平ちゃん、この子、本郷優奈ちゃん。よろしく頼むね」
東大だから本郷かよ、安易なネーミングだなと思ったが、元東大生を前面に出して売り出そうという、社長の思惑の込められた名前なのだとも考えられる。
下手に返事をするといつものように押し切られると思った耕平は、黙って突っ立っていた。すると女の子は、自分から耕平の前に立って、ぺこりと頭を下げた。
「本郷優奈です。よろしく、お願いします」
そうして耕平を下から、くりくりっとした目でまっすぐ見上げてきた。
(あ、かわいい)
耕平はまた、どきっとした。縄師の哀しさ、この子を縛って虐めたらどんなかわいい声で泣くのだろうと、そんなことを思ったりしていた。
「あ、こちらこそよろしくお願いします」
思わずそんな返事を返して、しまったと思う。これでは、もう仕事を受けることを承知していることになるではないか。
横で辻本社長が、してやったりという会心の笑みを浮かべていた。
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