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「認めて欲しかったのよ、母に」
 優奈ちゃんは耕平に、そう言った。
 可愛い顔をして、優奈ちゃんは恐ろしく酒に強い。今日も居酒屋で、優奈と耕平は酒を飲んでいた。
 優奈ちゃんの酒は、いい酒である。泣き出したり、からみ出したりということは一切無い。ただ、ちょっと顔を赤くして、陽気なおしゃべりになるのだ。
 だが、今日の話題はそんな気分になれないらしい。どうしてそんなに勉強ができるのかと訊かれた優奈ちゃんは、いつにない暗い表情で、重い口を開いた。
「父が浮気者でね。いつもよそに女を作ってた。めったに家にも帰って来なかったわ。たまに帰ってくると、もう、血みどろの大喧嘩。そんなだったから、母はいつも不機嫌だったの」
「へえ、そうなんだ」
 優奈ちゃんが、くいっとコップをあおる。日頃の優奈ちゃんらしくない、乱暴な酒の飲み方だった。
「母が言ったの。東大に入れって。東大に入って、エリートの立派な男性と結婚しなさいって。私は母が好きだったから、母の言う通りの道を選んだの」
「それで、本当に入れるのがすごいよね」
「だからね、認めてもらいたかったのよ、母に。いつも不機嫌だった母が、私が百点取って帰ってきた時だけは優しかった。私は母に優しくしてもらいたくて、必死で勉強したの」
「優奈ちゃん、よかったよね」
「なにが?」
「この業界に入ってくる子はね。みんな同じような経験してきてる子ばっかりなんだよ。親が浮気性だったり、酒乱だったり、喧嘩ばかりしている両親だったり、離婚してたり」
「そうなの」
「他の女の子に、そういう話してご覧よ。そういう話をしたらみんな、分かってくれると思うよ。きっと、どこの職場で話をするよりも、みんな分かってくれると思うよ」
 そう話す耕平を、優奈ちゃんはじっと真っ直ぐに見詰めていた。そして、
 ぽろりと一粒、涙を流した。耕平は、どきっとした。
「ありがとう、耕ちゃん。ありがとう」
 そして優奈ちゃんは両手で顔を覆って、肩を震わせて泣き出した。酒を飲みながら涙を流す優奈ちゃんを、耕平は初めて見た。

「やっちゃいなさいよ、耕平」
 山中恭子は、耕平に向かってそう言った。
 恭子は耕平の戦友のようなものである。耕平がこの落とし屋稼業を始めた最初から、耕平を手伝ってくれている。今日も優奈ちゃんについて話をしながら、耕平は恭子のアドバイスを聞いている。
「その子、マゾだよ。間違い無いよ」
「どうしてそんなことが分かるの?」
「女の勘だよ」
「駄目だよ、そんなんじゃ。下手をすると俺、前科が付いちゃうじゃない」
「嫌いだったんでしょ? 勉強。でも、お母さんに言われて、本当に東大入れるくらいに勉強しちゃったんでしょ? それって、マゾヒズムだよ」
「マゾヒズム?」
 言われてみると、そうかもしれない。命令されるままに勉強する。優奈ちゃんと母親の間には、マゾ奴隷とご主人様の関係が成り立っている。
 でも、優奈ちゃんは、嫌いな勉強の中に快感を感じていたのだろうか。鞭の好きな子は鞭の痛みが気持ちいいと言う。蝋燭の好きな子は、蝋燭の熱さが気持ちいいと言う。優奈ちゃんは、嫌いな勉強をさせられていることに、快感を感じていたのだろうか。もし感じていなかったとしたら、それをマゾヒズムと言ってよいのだろうか。
「まだそういう快感を知らないなら、耕平がそれを教えてやればいいじゃない。それが耕平の仕事でしょ?」
 そして恭子は、空きかけていた耕平のコップに安酒を注いだ。
「なんだったら、今回は私がやってあげようか? そしたら、もし失敗しても刑務所に入るのは私だし」
 耕平は、少しだけ考えた。
「いや、いい。これは俺の仕事だし。俺がやるよ」
 恭子の話を聞いているうちに、耕平も優奈ちゃんはマゾかもしれないと思い始めていた。
 もしそうなら、いつもの仕事をいつものようにやるだけだ。耕平はそう、決めた。
 飲み屋の喧騒の中で、耕平は覚悟を決めた顔付きで恭子を見た。恭子は耕平に、軽くウィンクしてみせた。

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