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「冗談でしょ!」
 次のターゲットの名前を告げられたとたん、耕平は思わず大声を上げた。
 耕平の仕事は落とし屋。ターゲットになるAV女優に付き人として近付き、女優にSMの味を教え込んで、SMのNGを外させて、SM作品に出演させるのが仕事だ。
 今度のターゲットは黒崎摩耶。彼女は別にSMが駄目という訳ではない。むしろ、彼女の出演作品はほとんど全てSM作品と言っていい。
 問題は、彼女が女王様だということだ。
「無理ですよ、あの人をM女にするなんて」
「そんなこと無いんじゃない? SとMは紙一重だって言うよ」
 相変わらず岸本社長は無責任なことを言う。耕平は、思わず苦い顔をした。
「確かにそういう面もありますけどね。でも、あの人は無理ですよ」
 そういう面というのは、SとMの両面を持った人が居るということである。そして実際、そういう人間は多い。
 例えば、Mから始めて途中でSに転向するタイプ。転向することでM性が消えてしまうわけではないが、こういうSはむしろS専門のSよりも残酷な責めをしたりする。
 SがMに転向することもある。この場合、自分はSだと勘違いしていただけで、元来M性を隠し持っていたということになる。そのM性を、誰かに暴かれたのだ。
 こういう、SとMの性癖を併せ持っている、いわゆるマゾサドがMを責める場合、自分がMの立場になってこうして欲しい、こうしてくれたら嬉しいという責めを相手に行い、悶え苦しんでいるMに自分を同化して、自分自身が悶え苦しんでいる気になって興奮するのだという。
 純正のサディストの場合、Mの反応を見ながら責めを変えていく。サディストは、クールな観察者でなければならない。サディストの興奮というのは、自分の思い通りにMが翻弄され、乱れた姿を見る満足感に過ぎない。
 そして、黒崎摩耶女王様は、これまで耕平が見た誰よりもクールなサディストだった。この女王様にマゾっ気があるなんて、とんでもない話だ。
 例えば、まだ初心者のMだったり、筋力や柔軟性があまり無くて厳しい責めを受けられないMが居ると、マゾサドはこう言う。
「この、根性無しが!」
 要するに、このMに根性が無いから、自分のしたい責めが受けられない、もっと頑張れと怒るのだ。
 摩耶女王様は違う。そういう弱いMを見付けると、獲物を得た肉食獣のように嬉しそうな目をする。
 そしてそのMの受けられそうな緩い責めをしながら、少しずつ辛い責めを施し、その責めに必死に耐えながら新しい快感に目覚めて戸惑っているMの変化を、ゆっくり、日時を掛けて楽しみ尽くすのだ。
 実際、摩耶女王様に調教されたMは女王様から離れられなくなる。自分の中にそんなものがあるとは気付いていなかったM性を開発してくれた摩耶女王様から離れられなくなってしまう。
 そんな女王様に、M性なんてものがあるとは思えない。今回ばかりは、岸本社長の期待に沿えない。
 第一、黒崎摩耶女王様は耕平の師匠の一人じゃないか。
 耕平が縄氏を志した最初、色々な先輩に色々なテクニックを、心構えを教わった。黒崎摩耶女王様もその一人だった。
 今だって耕平は、摩耶女王様に色々なことを教わっている。そんな女王様が、耕平の未熟な縄に酔ってくれるだろうか。それは、難しいような気がする。
「摩耶ちゃん、こっち、こっち」
 社長の声に驚いて振り返る。そこには摩耶女王様が立っていた。
 いつものように女王様はスリムのジーンズを穿いていた。プライベートで摩耶女王様は、決してスカートを穿かないのだ。摩耶女王様のスカートを穿いた姿は、AVの中のボンデージ・スーツを着ている時に限られている。
「摩耶ちゃん、この人、今度麻耶ちゃんの付き人になってくれる岸田耕平くん。よろしくね」
「付き人? 耕平が?」
 怪訝そうな顔をする摩耶女王様に、耕平は小さくなる。
 落とし屋という仕事を始めた頃、耕平は摩耶女王様に色々と悩みを相談していた。そうしてアドバイスしてくれたことが、随分助けになっていた。
「なんだ、摩耶ちゃん、耕平ちゃnのこと、知ってたの」
 この期に及んで、社長は気楽なことを言っている。果たして摩耶女王様は、あの獲物を見付けた肉食獣の顔をした。
「まあ、ちょっとだけね」
「それなら話が早いや。麻耶ちゃん、耕平ちゃんと仲良くやってよね」
「そうだな」
 そして女王様は、まるで男のような磊落さで、耕平の背中をぽんと叩いた。
「これからよろしくな。こ、う、へ、い、ちゃん」
「は、はい」
 ああ、僕の方が調教されそう。耕平の顔色は、真っ青になっていた。

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