摩耶女王様の付き人になって三ヶ月の月日が経ったが、耕平はまだ何もできずにいた。こんなに手間取ったことは、今まで無かった。
「どうしたの、耕平ちゃん。ビシッと決めてよ、ビシッと」
辻本社長はそう言って耕平をせかすが、難しいものは難しいのだ。
琴美女王様の助言によると、摩耶女王様には熟れた体という弱点がある。実際、刺青を入れた女にはMの素質があると言った摩耶女王様の言葉は、耕平を誘っているものだと取ることもできる。
だが、それが真実だったとしても、やはり耕平には手が出なかった。それは、人としての構えのようなものだった。
摩耶女王様は女王様として、もう十五年以上のキャリアを持っている。上から目線で人に接することに慣れてしまっている女王様は、耕平と話している時も常に上からものを言ってくる。
対して耕平は、SMプレイのノウハウを一から教えてくれた女王様には、どうしても敬語で話してしまう。
年齢的にも耕平よりも年上、会社でのキャリアも耕平よりも長い。当然、社内での発言力も女王様の方が強い。
どこをどう転がしても、耕平が摩耶女王様に対して支配的立場に立つことは難しい。
だったら、一気に関係を壊してしまえばいい。レイプしちまえ。そんなことを考えたこともあった。
だが、摩耶女王様の心の根底に男嫌いというのがあるとすれば、レイプは最悪の選択肢という予感がする。一歩間違えば、摩耶女王様と耕平の関係は救いようも無く壊れてしまうだろう。下手をすると、会社にも居づらくなってくるかもしれない。
もしそうなったとして、最初に命令を下した辻本社長は耕平のことを庇ってくれるだろうか。
絶対に庇ってくれない。摩耶女王様のご機嫌を取って、一緒になって耕平をいびり出しにかかるだろう。
(難しいなあ)
結局、どうすればよいのか分からないまま、徒らに時間を浪費するばかりなのだった。
「摩耶さんに、お客様?」
「そうなんだよ。今、摩耶ちゃん、撮影中でしょ? 耕平ちゃん、変わりに応対してよ」
応接室に行ってみると、年老いた男が一人、座っていた。
髪は真っ白で、しかも禿げ上がっている。着ているものもくたびれている。何年も前の服を、だましだまし着続けているという風情だった。
「あの、摩耶女王様は今撮影中なんですが、女王様に何か御用でしょうか?」
「そうですか。撮影ですか」
老人は、気弱そうに頭を下げた。待とうか、出直そうか、迷っている様子だった。
「私の住んでいるところの近くに、レンタルビデオの店がありましてね、時々、そこに寄るんです」
「はあ」
「先日、そこで、摩耶女王様のDVDを見ましてね」
「はあ」
老人の話が佳境に入ってくる前に、応接室のドアが開いた。撮影の合間を縫って、摩耶女王様が顔を出したのだ。
「あ、摩耶さん」
「私を訪ねて来たってのは、この人?」
「そうです」
摩耶女王様が老人の方を向く。つられて耕平も、老人の顔を見た。
老人は、泣いていた。
「さ、里美」
老人は女王様のことを里美と呼んだ。耕平は知らなかったのだが、きっとそれが摩耶女王様の本名なのだろう。
女王様の顔に驚愕の表情が浮かんだ。
「……お父さん?」
「久し振りだなあ、里美。本当に、立派になって……」
泣きながら抱き付いてこようとする父親の頬を、女王様は平手で殴った。ゴンッと鈍い音がする。老人はよろけて、ソファーの上に倒れ込んだ。
「今さら、どの面提げてやってきたんだよ、ずうずうしい!」
「さ、里美」
「あんたに捨てられて、私と母さんがどんなに苦労したと思ってるんだ!」
「悪かったよ、里美。この通りだ、すまん」
「出て行け!」
「あ、さ、里美!」
「出て行け! 二度と私の前に現れるな! 消えろ!」
無抵抗の老人を引き摺るようにして、摩耶女王様は老人を外に放り出した。そして乱暴にドアを閉めた。
「ま、摩耶さん」
摩耶女王様は、ドアを開けられないように、押さえ付けている。怒りに震える眉と唇。眼にはうっすらと涙が滲んでいる。耕平は、摩耶女王様が泣くのを初めて見た。
摩耶は男が嫌いなんだよ。
耕平の頭の中に、琴美女王様の言葉が響く。
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