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 翌日、松永久秀は信貴山城で爆死して果てた。秘かに城を抜け出した軍兵衛とお清は、久秀の命を果たすべく、紗江の生家を目指した。
 旅の途中、お清は軍兵衛に体を許そうとはしなかった。まるであの時のことが無かったように、軍兵衛に対するお清の態度は事務的なものに終始していた。
(忍びというのは、不思議なものじゃな)
 軍兵衛は感心した。お清に女の心が無い訳ではない。それは、あの日のお清の乱れ方、軍兵衛の唇を求めたあのお清の情熱で分かる。
 だが、そのような感情を、お清は見事に押し殺してしまっている。任務に差し障る感情は不要と割り切っているのであろう。
(もう一度、この女を乱れさせてみたいものじゃ)
 薬の力を借りたとは言え、欲情した目で軍兵衛を見詰め、軍兵衛の体にしがみ付いて情熱的に腰を振っていたお清の姿が忘れられない。
 だが、軍兵衛にしても、主君の命を果たさずして劣情に流されているわけにはいかない。それでこの男も、あの時のことなどなにごとも無かったかのように、平静を装っていた。
 市中に溢れ返っている織田の軍勢の目を盗みながらようやく紗江の実家に辿り着いた時、紗江はすでに出家するために旅立ってしまっていた。軍兵衛は紗江の目指す寺の名前と場所を両親から聞き出し、慌てて後を追ってきたのである。

 目指す妙韻寺にもう少しで着くという時、お清が軍兵衛の袖を引いた。
「誰かが潜んでいます」
「潜んでいる? 野党か?」
「忍びです」
「忍び? なぜこんな場所に忍びが居るのだ」
「分かりませぬ。こちらの気配を窺っているようです」
「人数は分かるか」
「くノ一が一人居るだけです」
「くノ一? なぜ女だと分かる」
 驚いて訊く軍兵衛に、お清はちょっと笑ってみせた。
「女の匂いが」
 軍兵衛は呆れた。どうやらこの女は、犬のように鼻が利くらしい。
 そう言えば、道中一度、商売女を抱いたことがあった。その時お清は、主命を帯びた者が女郎買いとは不謹慎だと軍兵衛を責めた。なぜ分かったのだと軍兵衛が訊いた時も、お清は匂いで分かると言った。
 その時のお清の顔は、嫉妬の炎で炙られていた。道中、お清が女の顔をしたのはその時の一度切りだ。
「むっ!」
 軍兵衛は緊張する。前の草むらの辺りから突然、多数の胡蝶が現れてきたのだ。
「お清、あれは?」
「おそらく、あのくノ一の術です。油断なさいますな」
 胡蝶はゆらゆらと彷徨いながら、軍兵衛のところに近付いてくる。そして、軍兵衛の回りを取り囲む。
「むんっ!」
 刀を抜き放って、一番近い蝶を斬った。ぱんと弾けて、蝶は消えた。
 軍兵衛は、次第に意識が朦朧としてくるのを感じる。どうやら、ある種の幻術のようだった。
「お清、お清」
 狼狽えてお清の名を呼ぶが、返事が無い。お清も、この幻術に惑わされているのかもしれない。
 軍兵衛は太刀で自らの膝を突く。傷の痛みで意識を覚醒させようとするのだが、それも効き目は無かった。
 群れ来る蝶を、片っ端から斬って捨てる。いくら斬っても、蝶の数は一向に減る様子が無い。むしろ、どんどん増えてきているようだった。
「お清、お清!」
 泣くような声で、軍兵衛はお清を呼ぶ。こうしている間にも軍兵衛の意識は遠のき、今にも倒れ込んでしまいそうだ。
「おのれ、何者じゃ」
 あるいは、信長の放った刺客かもしれない。軍兵衛が松永久秀の命を受けて秘かに活動していることを察知し、これを始末しようとしているのかもしれない。
 平蜘蛛の茶釜とは、それほどのものだったのだろうか。これが信長の手にではなく、上杉謙信の手に渡ることで、信長の運命が危うくなるような、そんな力を持った茶器なのだろうか。
 いよいよ軍兵衛の意識が遠のき始めた。もう立っていることもできず、軍兵衛は地面の上にどおっと倒れ込んだ。
 その時、遠くから何かの気配がした。開けておくのもつらい目をこじ開けて、軍兵衛は気配のする方を見た。
 胡蝶の幻は、相変わらず遠くで群れ飛んでいる。その蝶の向こうで、二つの人影が揉み合っている。刀のぶつかり合う鋭い音が、軍兵衛のところまで聞こえてくる。
 一人はお清だった。お清はいつの間にか相手のくノ一の近くまで忍び寄り、斬りかかっていっていたのだ。
 お清も、相手のくノ一も、忍び装束を着ている。だが、お清の装束は黒、相手の装束は柿色で、二人の区別ははっきりと付けられた。
 見るところ、二人の技量は互角だった。今、お清と敵のくノ一は、刀を押し付けあって藻掻いている。先に離れた方が隙に乗じられそうで、どちらも離れられないという様子だった。
 柿色の忍び装束の背中が、軍兵衛の方を向いている。
 軍兵衛は、懐から小太刀を取り出し、最後の力を振り絞ってそれを投げた。
「ぐうっ!」
 お清との闘いに全神経を集中させていたくノ一は、軍兵衛の存在を忘れていたようだ。小太刀はくノ一の背中に深々と刺さった。痛みに思わず体勢を崩したくノ一の鳩尾に、お清の当て身が決まる。くノ一は呻き声を上げて、その場に倒れ込んだ。
 軍兵衛もまた、そのまま地面の上に顔を伏せて、意識を失っていった。



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